2012年10月6日土曜日

英智選手、ありがとう (T_T)



英智選手、14年間、ご苦労様でした。

英智選手のプレーが大スキでした。

英智選手が守っているだけでワクワクして観戦することができました。

引退会見、最終戦後の挨拶、感動しました。 (T_T)



<引退会見の一節>

一番というのは出てこないんですけれど、最初入ったときに、先ほども言いましたけれど、ドラゴンズファンでしたので、見る人見る人、テレビの中の人で、すごく緊張して、夢心地の毎日でした。
 堂上さんの体の大きさとか、今中さんの足の長さ、アレックスの強肩、井端さんのバットコントロール、岩瀬さんの野球盤でいう球が消えるようなスライダー、憲伸さんのセンターから見ていたらファミコンのようなコントロール、タイロン・ウッズのすごいバッティング、腰がひん曲がりそうな和田さんのフルスイングだったりするんですけれど、僕の中でお世辞抜きでずば抜けて度肝を抜かれたのが、谷繁さんの捕ってからのスピードです。他の選手には失礼ですけれど、メジャーに行ったら世界一が見られると思ったんですけれど、これは行かなくてもまさに世界一だと思って。本当に球をポケットに隠し持っているんじゃないか、と思って、何回も谷繁さんのポケットの中を見たのを覚えています。
 一番嬉しかったのは、いいプレーをしたときに谷繁さんがホームから指をさして、何も言わないですけれど、ナイスプレーという合図をしてくれたときの映像は今でも覚えています。

 あ、世界一、もう一人。世界一のキャッチャーいました。世界一面白いキャッチャー、小田幸平。僕は真面目に、本当にひたむきにやってきたんですけれど、幸平が来てくれたおかげで、いろんな角度から野球を見ることができて、野球が何倍にも好きになったので、感謝しています。


<最終戦後の挨拶の全文>

皆さん、こんばんは!

まず始めに、このような場を設けていただいた中日ドラゴンズの関係者、ドーム関係者の皆様、大変光栄に思います。ありがとうございます!

本日をもちまして、14年間の現役生活を終えることを、ここに報告させていただきます。ありがとうございました! 広島ファンの皆様も残っていただき、ありがとうございました!

きょうは喋ることを特に考えてきていませんで、その場の気持ちを素直に伝えようと思い、ナゴヤドームに入りました。幼いころから野球を始め、素晴らしい仲間、素晴らしい先輩、素晴らしい恩師、素晴らしい指導者、そしてたくさんサポートして頂いた皆さんに出会うことができ、そして沿道から声援と拍手、笑顔をいただいた皆さんのおかげでここまで来ることができました。ありがとうございます!

皆さんは『ありがとう』と、きょうもスタンドから声をかけてくれましたけれども、僕が言いたいのに、『ありがとう』という言葉は不思議な言葉だと、きょう、つくづく思いました。ありがとうございました!

きょう来るとき、ガソリンスタンドで給油をしていましたら、名古屋城が見えまして、ああ、あの名古屋城にも大昔にお侍さんがいて、お侍さんの下で働く武士がたくさんいて、それをサポートするまかないの女の人とかがいて、と不思議な気持ちになりました。ですので、皆さん、同期に同じ大学出でドラゴンズの門をくぐった小笠原と英智は、そのような気持ちで、そういえばあんなやついたな、なんて心の片隅に置いていただいたら幸いです。

おかげさまで、まだ野球に対する情熱のたぎりがたくさん余っています。これから、そのたぎりを絶やすことなく燃やし続け、ドラゴンズをこれ以上に強くしていく裏方として頑張っていきたいと思います。

みんなにありがとうと言いたいんですけれど、あんまり浮かんできません。とにかく、ここまで生んで強く育ててくれた両親。まず厳しく育ててくれたお父さん、ありがとう! ありがとう! この言葉をこの場で言えただけで、プロ野球選手になって良かったです。あと、テレビで見ているお母さん、何回も誘ったのに来てくれませんでした。母親らしくて大好きです。これも言えてよかったです。お母さん、ありがとう!

きょうは特別な日になりましたが、皆さん、日々の生活の方が大変だと思います。また明日から、いえ、きょう帰ったら、気持ちを前向きに、そしてその前向きな気持ちが必ず被災地に届くと思います。皆さんで届けましょう!

最後に、テレビで見ているお母さんのために、全力で遠投を一投させて頂いてよろしいでしょうか!


最後の遠投はサスガです。「これぞ、英智」って感じでした。





英智デザインのTシャツも好きでした。

これからも素敵なデザイン、楽しみにしてます。


<応援歌>
強い風に立ち向かえ 永遠の伝説となれ
熱く走れヒデノリ そのスピードで


本当にありがとうございました。